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| 31号 宇和島水産高校練習船「えひめ丸」と米国原子力潜水艦の衝突事故について |
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1)事故発生の一報から、ハワイに立つまで・・・
皆さんこんにちは。桜田義孝です。今回の絆31号は、皆様も既にテレビ・新聞等でご存知の宇和島水産高校練習船「えひめ丸」と米国原子力潜水艦「グリーンビル」の衝突事故についてお話させていただきたいと思います。また、この事故により、絆を執筆する時間がなく皆様のお手元に届くのが1ヶ月程遅れてしまいましたことをお詫び申し上げます。
私は、2月10日から27日まで約半月に渡り、事故の現地責任者として米国ハワイで事故処理に当たっておりました。外務大臣政務官に就任して早々1ヶ月弱でこの様な大役を引き受けてしまうとは就任当初は考えも及ばないことでありました。外務大臣政務官は3人任命されていますが、絆30号でも少し触れましたように、担当地域と専門政策分野を3人の政務官で割り振りをしております。私の場合、担当地域は北米・中南米・アフリカ、専門政策分野は、軍縮、核不拡散、経済協力でありますので、北米担当の政務官である私が、政府代表としての現地責任者に選ばれた訳であります。まず、事故の起きた当日の私の行動にいてご報告させていただきます。
事故の起きた2月10日の12時30分、河野外務大臣より私の携帯電話に、えひめ丸の事故について、「大至急現地に入って陣頭指揮をとるように」との指示がありました。急きょ、自宅に戻って数日分の着替えなどを準備、と同時に各メディアからあらゆる情報を収集致しました。情報の即応性・正確さはインターネットのニュース速報が一番ではなかったかと思います。首相官邸の危機管理センターに向う車中では、入手した情報の整理、首相官邸・外務省との連絡を常に取っておりました。14時55分に官邸に到着し、すぐに森首相を交えた対策会議が開かれその場で、正式にハワイに向うことが決定しました。
まさに、危機管理について身を持って体験いたしました。事故発生の一報を受けてから約2時間25分で官邸入りできましたが、私の初動としては満足のいくものではないかと考えております。
2)捜索・救助活動について ──米軍との交渉にあたって──
10日、日航機で夕方成田を飛び立って、ハワイ・ホノルルに到着するとすぐに、私のハワイ入りを聞いて、領事館に早速ファーゴ米太平洋艦隊司令官が駆けつけてきて、会談に臨むこととなりました。これが、現地入りしての最初の仕事となりました。司令官に対し、遺憾である旨の厳重な抗議、最優先事項として人命救助・捜索活動の増強、原因解明と再発防止、救助された人・行方不明者・関係者たちに対する対応を十分に行なってもらうことを申し入れました。その後、続けてケイス太平洋軍司令官代行、イヤロー沿岸警備隊幕僚長と会談を行なうに至り、ファーゴ司令官との会談がつづきました。ハワイに到着してから米国関係者との会談の連続で、情報も十分に入手できていない状況での大変厳しい交渉でありましたが、被害に遭われた生徒・乗組員・行方不明者の方々ことを思うとそんな泣き言はとても言っていられる状況ではありませんでした。
その後、民間人が乗船していたとの情報が入り、直ちに事故と民間人の乗船に何か関連があるのか調査を行なうこととなりました。民間人が浮上レバーを引いた、操舵席に座っていたなどの事実が判明し、米国に対して強い抗議とより一層の調査を進めるよう申し入れを行なうに至りました。日本の専門家の話では、民間人が操舵するなどということは考えられないことであり、「このことが事故に少なからず影響を与えているとしたら由々しき事だ!徹底した調査が必要だ!」と確信するにいたりました。米海軍の言い分では、「民間人が艦船に乗っていることはよくあること」の様でありますが、軍の米国民理解をすすめることと潜水艦の安全な航行を行なうことは全く別の次元の問題であります。
民間人の存在・動作が事故にどのくらい影響を与えていたのかの詳細は、現在まだ調査中でありますが、審問委員会での前艦長等関係者の証言に因って全容が明らかになってくるものと確信いたしております。
ところで、私のブレア会談後の共同記者会見場での発言で、『「船長が原潜による初期の救助活動について、だいぶ不満を持っているが、抗議しなかったのか?」との記者の質問における答えの中で、潜水艦の救助活動は適宜行なわれた』という部分のみが一人歩きし、日本の一部メディアで大きく取り上げられて批判的な記事が掲載されておりました。私の意図する内容とは明らかに違う趣旨で、意図的に悪意をもって報道された事に対し怒りを覚えます。
海上自衛隊の潜水艦の専門家から「原子力潜水艦は、元々救助を行なえる構造ではない。ビデオで何回見ても、波が高くハッチは開けられるような状態ではない。原潜に救命ボートが近づきすぎると、原潜の背中は丸くなっているので、波がかぶるとボートがひっくり返ってしまい、二次災害が発生してしまう恐れがある。沿岸警備隊は連絡を受けて30分でヘリコプターが、45分で救助船が現地へ到着し、26名が救助されている。連絡を受けてから到着までの時間も遅くはなく、適切である。ボートと共に航行し、救助隊が来るまで安全を確認する為、平行して航行することが一番できる最善の行為である。あれ以上はやりようがなかった。」との分析が報告されたことを受けて、現地において米国の説明を受けたその時点でのとりあえずの感触を述べたものであり、米原子力潜水艦の対応についての最終評価を行なったものではありません。
潜水艦の救助活動の評価については、今後の調査結果を加味して、情報を精査し検討を行なわなければできるはずがないことは誰にでも分かることであります。しかも、私が発言した当時は、潜水艦に民間人が搭乗していた・操縦をしていたなどの情報が判明していないときに行なったものであります。
どういう趣旨での発言なのかが重要な部分だと思うのですが、肝心なこの部分は意図的になのか報道はなされません。記事を書く、報道する記者の方々は「とりあえずの感触を述べた」ということが十分に分かっているのでありますが、実際に報道される段階になると、ほんの一部の発言だけを取り上げておもしろおかしく、事実とは異なって報道されてしまうのであります。意図的に真意を伝えない一部メディアによって「米太平洋軍のスポークスマン」などと揶揄されてしまいました。これは大変残念なことであります。多くのマスメディアを通じて、詳細を発表されておりますが、その人たちは真実の情報を知るために、誰一人として私に問い合わせをする者はいませんでした。真実を確かめることもなく、人の批判をするにも、もっと常識というものが必要だと感じた私には、反論する機会が与えられなかった為、この絆の紙面上で釈明させていただきました。
3)日本とアメリカの文化の違いについて
今回の事故に関して、私は日米の文化の違いについて改めて再認識致しました。文化の違いについては、私も非公式レベルではありますが、議員外交を通して身を持って体験して参りましたが、国益と被害に遭われた方々の気持ちの間で、米国のドライで冷徹な契約社会が持つ独特の制度・価値観を垣間見ました。
例えば、行方不明者の捜索については、人間が飲まず食わずで生存できると言われる72時間、即ち事故が起きてから3日間を過ぎたところで捜索を止めようとする動きが見られました。生物学的に考えて、もう生存している可能性がないから捜索活動を止めると言うのです。
一例ですが、ケネディJr.が飛行機事故で行方不明になった時でさえも、生存の可能性がない、2日を過ぎたら捜索活動を中止していました。確かに生きている可能性はない、若しくは少ないかも知れませんが、日本人の普通の感覚からすれば、全くずれていると言わざるを得ないものであります。宗教観・死生観の違いがあるとは言え、全く落ち度がない被害者のご家族の思いからすれば、たとえ生存していなくても何でもいいから遺留物一つでも見つかるまで捜索活動を継続して欲しいと思うのが当然であります。私は、「何故、日本側は非現実的な考えを持つのか全く分からない」と米国から捜索規模の縮小・打ち切りについて打診された際、当然日本政府を代表して「日本人の国民感情と価値観に基づいて判断して欲しい。断固として断る!」との日本側の考え・ご家族の意思を通告しました。「今回の事故は、被害者が日本人であり、加害者が米国人である。被害者の価値観に基づいて対応していただきたい。対応にあやまりがあると過去50年の日米同盟と日米友好の絆にヒビが入るかもしれない。」ブッシュ政権の対日同盟関係重視という関係も我々に味方し、数時間後、米側の継続の判断が下り、米国側の捜索打ち切りを回避することができました。(2/10〜3/2までの18日間にわたり沿岸警備隊による捜索が続けられました。)ファロン米特使が愛媛に行き家族の方に謝罪をした時に、家族から沿岸警備警備隊の捜索は打ち切ってもよいとの申し入れがなされるまで、捜索活動は続けられました。
そして、捜索活動の主体が、生存者の捜索・救出を主な任務とする沿岸警備隊から米国海軍に引継ぎが行なわれるに至りました。(米国海軍の捜索活動は3/15現在でも行なわれている。)
もう一つ、「えひめ丸」の引き上げ問題についても、やはり文化の違いによる日米の認識の違いがありました。軍人と一般人とは違いがあるかも知れませんが、米国には、沈んだ船を引き揚げるという思想が有りません。第二次世界大戦時の日本による真珠湾攻撃で沈んだ戦艦アリゾナは、港内の水深20m〜50mの比較的浅い場所で撃沈されたにも係らず、千数百人の戦死者と共に現在でも沈んだままで在ります。しかも、その、戦艦アリゾナの上に記念公園を造って一つの慰霊碑としている有様です。私もその現場を視察して、日米の人種・社会における制度と死生観の違いを強く感じました。日本では全く考えられないことであります。被害に遭われたご家族が「えひめ丸」の引き揚げにこだわることに関して、「なぜ引き揚げにこだわるのか」というのが米国側の率直な考えでした。「えひめ丸」引き揚げに関して、少なくとも技術的の結論の出ないうちに、引き揚げを行なわないことは、日本政府・ご家族の意思としては当然受け入れることができないことでありました。
この点については、海上自衛隊・民間サルベージ会社から船舶の引き揚げに関する専門家を招聘し、アドバイスを受けながら米国との交渉に当たることとなりました。 ハ
専門家の話では、世界で例の無い規模の引き上げであるということであり、引き揚げ準備だけでも期間に半年以上、費用は数十億円というものでありました。現実的に引き揚げるのには、かなりの技術的困難性があることを認識しながら、米国とネバリ強く交渉にあたりました。
その結果、2月19日夕方、米国政府の「えひめ丸」の引き揚げ決定に関しては「技術的実現可能性のみに基づいて行なうこと(引き揚げ費用の考慮は行なわない)」、「その引き揚げの技術的実現可能性を決定するために必要なデータを収集するのに数日かかる」との報告ができました。その間、日本よりさらに引き揚げの技術調査団を日本より派遣してもらうことになりました。民間サルベージ会社の1人増強、外務省、国土交通省、内閣官房、文部科学省の技官・海洋技術センター・船の設計(来島ドリフ)の技術員等7人の引き揚げミッションがハワイに到着し、スコーピオの調査に加わることができました。また、米国政府への申し入れにより、引き揚げ調査をオランダの専門会社の調査団中に最初から日本の技術陣を参加させることになりました。
その後は、3週間程度で、引き揚げ可能性についての結論がでることになり、結論が、3/8までに米側が調査委託先のオランダの民間会社から調査結果が届けられました。それを受けて3/13海軍によって、引き揚げ可能の結論が発表されました。(引き揚げに際しての環境アセスメントを実施しなければなりません。引き揚げの際、船の燃料油が流出の危険性があり、燃料が漏れた場合世界で一番きれいな海水浴場といわれたワイキキの浜辺は死んでしまうからです。)
真の友人として付き合っていく為に、本来は文化・慣習の違いというものは、排斥するものではなく理解し合い、お互い尊重すべきものであると私は思います。しかし、今回の事故では、怒りのやり場のない、何ら落ち度のない被害者のご家族が当事者であった為、文化や制度の違いがそのまま米国との意思のすれ違いとして大きく現れてしまったのではないかと思います。
4)帰国してから・・・
私は、被害者のご家族が全員帰国するのを見届けてからは、ハワイにおいて、対米関係における世論対策に全力を上げました。ハワイにおける日系人協会との会合・日系商工会議所役員との会合・地元プレス・米国プレスとの記者会見・地元で「えひめ丸基金」を創設してくれた方々・日本人家族へのボランティアを続けてくれている地元の日系人への御礼等積極的に活動を続けて参りました。また、私は事故を起こした原潜グリーンビルの実物の検証にも参りました。アリゾナ記念館や太平洋戦争の終戦の調印をしたミズーリ艦も視察してきました。
その後、ワドル前艦長の審問委員会が開かれるのを前に同僚の望月義夫外務大臣政務官に仕事を引き継いで2月27日に帰国しました。2月10日から2月27日までの17日間という、私の議員生活の中で最も長期にわたる海外出張でありました。
帰国してからも、毎日のように新しい事実が各メディアによって報道されております。「えひめ丸」の引き揚げは、オランダのサルベージ会社の判断では技術的に可能であると判断され、具体的な引き揚げ方法・期間等も含め決定されたのは、ご家族の思いが通じたからでありましょう。ご家族の意思を最優先に考えて、米国と「えひめ丸」引き揚げ交渉あたってきた私としては、これほどうれしいことはありません。また、ワドル前艦長が「審問委員会ですべてを発言するので、軍法会議の証拠に採用しないで欲しい」と発言しているなど全容が、次第に着実に明らかになりつつあります。
今回の外交交渉の結果で、米国に対して誇れる成果を収めた点をお知らせ致します。
(1) 沿岸警備隊の捜索活動実績は、最高は3日間しかありませんでしたが、過去最高の18日間捜索活動をさせることがでたこと。
(2) 海軍における査問委員会に、日本人の自衛官を審査員として米国人3人と共に参加させた。
(3) ワドル前艦長に裁判が始まる前に謝罪をしてもらったこと。
(4) 米国家交通安全委員会の調査に最初から日本の外務省職員が参加できたこと。
(5) 体及び遺留物の回収のため50億円の金額を払っても船の引き揚げを決定させたこと。
以上5点は米国社会ではほとんど可能性がないことを私たちは実現することができました。私たちの働きもありますが、日本政府・日本国民の一致した努力・世論の成果と思っております。心から感謝にたえません。
今後とも、私は、外務大臣政務官の職にある限り、国会議員である限り全力で事故の全容解明と事故後の対応に全力を尽くして参りたいと思います。今後ともご指導をよろしくお願い致します。
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