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| 元気だそう日本! 桜田義孝の日本国改造私案 |
| 第一部 二十一世紀目指すべきこの国の「かたち」と「こころ」 |
| 第十章 国家百年の計は教育にあり―― わたしの日本教育改造論 |
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1 新世紀の成人式をみて思ったこと・・・
2001年の記念すべき成人式の全国各地での、見るも無残な光景を皆さんも新聞やテレビでご覧になったことと思います。式典中県知事に罵声を浴びせたり、酒のラッパ飲みをしたり、クラッカーをお見舞いしたりと、全国津々浦々でこのような所業が展開されました。彼らはごく一部の人間じゃないかという意見もありますが、他のかなりの若者も、そうした行為をみて笑っていたり、式典中に友達と携帯電話をかけまくったりと、レベルの差はあれ、「ちょっとどうかなあ」という行為が目立ったように思います。
今の若者の多くは自由と自分勝手をはき違えていると思います。なぜ多少のことを我慢できないのか?人が嫌がっていることを率先してやって何とも思わないのか?これではいじめがなくなるわけはありません。実際、全然なくなっておりません。余計見えないところで子供達は精神的・肉体的リンチを繰り返しているのではないでしょうか?
少なくともあの成人式の実態を「これが日本の若者の現状です」と、他国には恥ずかしくて話せないでしょう。わたくしはそもそも成人式など無用であると思います。実は精神的に成人できていないような若者を、みんな集めて首長が形式的な祝辞を述べるという行為は実に意味のないことであります。今回の一件から成人式の廃止を検討する自治体も増えるようですが、是非活発に議論してもらいたいものです。少なくとも自治体が主催する必要はないと思います。
さて、いささか話が飛びましたがこの章のテーマは教育改造です。はっきりと申し上げて、あの成人式の実態は、わが国教育政策の欠陥の証拠以外の何ものでもないと思います。あれをみる限り、これまでのわが国の教育制度や内容には重大な問題があったといわざるを得ません。いま、若者の青少年の精神状況、この国の次世代を担う「こころ」が危機であります。この国の「こころ」づくりのため、わたくしたちは今、どうすれば良いのでしょうか。
2 いまの子供達の心にあるもの、そしてないもの・・・・・
子供達はいま大変ストレスがたまっているようであります。ここに、驚くべき調査結果があります。今の小中学生の3人に1人が小さなことでイライラすることが多いというのであります。子供達専用のドリンク剤などというものも売られ始めております。わたしの子供の頃などはゲームなどなかったわけですが、もっと生き生きとしていました。もっと子供達に夢というものがありました。
今の状況の原因のひとつには受験システムというものがあると思います。しかし、目標をもって、例えば医者になりたいから医学部を目指す、あるいはコンピューターをやりたいから工学部を目指す、あるいは法律に興味があるから法学部を目指すと、そういう勉強なら個人の目的達成のため必要ですし、そうした程度のプレッシャーに負けていては、人生などは、とてもやっていられません。問題は、多くの若者がこういう種類のものではない構造的ストレスに悩まされているということなのであります。
今やほとんどみんな大学に行く、しかも完全なピラミッドがある。高い偏差値の学校と低い偏差値の学校がある、自分は一体どこに入れるか、将来的に社会でどこにランクされるのか気になる。いくら厳しいものであっても人間の能力が多種多様である以上、このようにある程度能力の序列システムが必要であるということは認めざるを得ないでしょう。
しかし、これらはあくまで便宜的なものであって、決してランク付けそのものが人生の目標であるべきではありません。大分改善されてきているといっても、まだ、日本の教育では、これが前面に出すぎているところがあると思います。
要は個人個人、生きがいを感じ、人生というものを楽しむために、それぞれの能力に合った教育を受け、職業につき、総体として社会が円滑に回っていけば良いわけであります。この点は、社会の教育意識や職業教育意識というものが重要になると思うのです。今の教育にはこれが完全に欠落しています。
現在、親の意識や社会の中に蔓(まん)延しているのは総中流意識というか、教育にも良い大学に行かせてくれれば良いというような発想です。だからみんな偏差値で学校を選び、大学を出て「さあ何をすれば良いかわかりません」というわけです。自分が何をして生きていったら良いかわからないという若者達がたくさん出てきているのです。
3 子供が生きる目的を持てるよう職業意識教育の充実が不可欠!
―― 夏休みを有効活用した現場体験教育の制度化
いま、学校卒業後、定職につかない、いわゆるフリーターが増大しています。労働白書をみると、1997年現在のフリーター総数は何と150万人と、5年間に50万人も増加したとのことであります。また、大学卒業後の4人に1人が定職につかない時代であります。
今の若者達は、定職についた後も簡単に仕事を辞めてしまいます。厚生労働省の調べでは、就職後3年までに、中卒の7割、高卒の5割、大卒の3割が離職するという驚くべき実態もあるのです。こうした数字だけみても、多くの方が暗澹(たん)とした気持ちになるのではないでしょうか。やはり教育システムそのもののどこかに欠陥があるのではないでしょうか。
ひとりの人間の人生を考えた時、どのような職業を選択するかが一番重要なのであって、このためにこそ教育というものはあるのだとわたくしは考えます。教育とは子供達に生きる指針を示すものでなければならないのであります。この点、今の学校教育は数学や世界史といったような学科教育に偏重しており、先行きの職業選択を意識させるような教育の場が十分ではありません。
先生方の中には「学校はあくまで教科教育の場であって社会職業教育の場ではない」とおっしゃる方もおられるかもしれませんが、わたくしは違うと思います。微分積分だって英語だって必要に迫られればちゃんとやるものであります。つまり動機付けこそが肝心であり、特に職業教育を中学校、高等学校でひとつのカリキュラムとして明確に位置付けることが有用であります。
世の中にはいろいろな仕事・職業があり、いずれ生徒達もそうした職をもって生きていかなければならない。そのためにも自分は将来一体何になりたいのか、そのためにはどんな勉強が必要なのか、そうしたことを考えさせなければなりません。逆にそうしたことが少しでも定まってくれば子供達にとって生きる目的が明確になり、精神がすさむこともストレスを過度にためてしまうこともなくなると思うのであります。
現在の教育問題を解くカギは、受験予備校教育にあると思います。予備校は実に活気があります。有名講師がいて、子供達は夜中まで質問しに押し寄せる。受験勉強には変な充実感というものがあるものです。これはなぜかと言いますと、志望校合格という目的が明確だからです。そうした将来の目的に向かって自分自身を能力的に強くしていく、そういうイメージをもった人間は大変強く魅力あるものです。
問題はこれを単に偏差値での学校選択に終わらせないこと。予備校時代の方が大学時代より充実していたなんて学生はたくさんいます。そうしないためにもやはり早いうちからの「職業意識教育」の充実によって、子供達に生きる意義・目的を明確にさせるような環境作りが教育政策の最大の課題であるとわたくしは考えております。
小中学校教育の職業意識教育に関連し、わたくしが是非提案したいのが、夏休みの有効活用による現場体験教育の制度化であります。現在、夏休みは40日程度あるようですが、これを20日程度活用し、現場体験教育のための新たな教育期間として明確にしてはどうでしょうか。
学校の校舎という閉鎖的な中ではなく、あくまで社会の現場で、長期間、稲刈りや山林の手入れ等農作業や、介護、ゴミの収集など各種公共機関・施設での手伝いをさせてはどうでしょうか。労働基準法との兼ね合いもありますが、場合によってはアルバイト代を支払い、職業の大変さとお金の大切さをわからせる期間とすれば、大変有用であると思います。
昔は地域社会現場が子供達に一定の教育を施していた側面があり、町会の中で子供達が叱られたり、教えてもらったり、いろいろな人的交流がありました。申し述べたようなかたちで、これを制度化できれば大変すばらしいことであると思います。子供達の社会問題意識が向上し、いくらか非行に走る不良少年の数も減少するのではないでしょうか。
4 高等学校教育をもっと有意義なものにせよ!
わたくしがある小学校の運動会に行き、そこの校長先生と話をしていた時、彼はこんなことを言っていました。「いまの教育問題を考えた場合、一番問題なのは特に普通科の高等学校教育ですよ。今の高校は中学校の延長、そして大学の予備校としか位置付けられていません」。これを聞いてその通りだと思いました。
高等学校は、もっと個人個人の人生進路・設計を考えた教育カリキュラムを組むべきであります。進路といってもどこの大学を選ぶかということではありません。どう生きるのか、どういった職業に就きたいか、だからどういった勉強をしなければならず、そのためにどのような進路を選ぶべきか、こうした点を子供達が明確に意識・整理できるようにシステム化すべきであります。
例えば、高等学校時代に、自分達の希望する職業の現場を、グループごとで見学するようにするということも考えられるでしょう。実際に、体験として仕事・職業をイメージしてもらうことが重要であります。企業等も、こうしたことをひとつの義務として積極的に協力すべきでしょう。制度づくりはわれわれがいくらでもやります。
小学校でもやって中学校でもやって、高等学校でもやれば良いではないですか。わたくしは、前回選挙の最重要公約のひとつとして社会現場体験教育の推進を掲げております。
とにかく高等学校が今のような中学校の延長であってはなりません。尊いこの時期には、自分の今後の全人生について深く考えさせる洞察の時期にすることが重要だと思います。そのためにも、教職員にも社会現場経験のある人が必要であります。
教職員はどうしても学校という閉鎖的な中でしかものをみる機会がないので、社会のイメージというものを十分に与えることができません。わたくしは、子供達に社会、そして社会の一員として生きることの具体的なイメージを与えられる「真の教育者」の存在が不可欠であると思うのであります。
この前、教員免許のない日産自動車の出身者が新しく設置される都立高校の校長先生に近く就任するという話がありました。これは学校の効率的運営を実現できるという点から評価されていたようですが、もっと授業内容的な部分でも、社会人経験教育者に期待されることは大きいと思います。特に高等学校という多感な時期に、こうした存在があることは子供達にとって大変有益なのであります。
以上のようにわたくしは、高等学校における職業教育カリキュラムの導入と社会人教育者の積極採用を推進して参りたいと思います。
5 大学を本当の大学とするために必要なこと
今の大学がレジャーランドといわれて久しくなりました。ほとんどの大学生はあまり勉強していないようであります。確かにアルバイト、サークル、コンパとそれらも重要であります。大学というのは自由な中で自発的にいろいろ物事を考えることが大切であり、そこにこそ意味があるという見方もあります。
しかし、これだけで終わっていてはとても大学と呼べません。やはり先ほど来、申し述べてきたような生きる目的教育とリンクして、もっと実りある一時期とすべきであって、就職までの間、楽をするモラトリアムの場であってはならないというのが、わたくしの確信であります。親もそのような楽をさせるためだけに、高い学費を払って大学に行かせているわけではありません。
また、企業の側からしても大学教育というのは必ずしも社会のニーズに応えていないというのが一般的な評価ではないでしょうか。まあ会社に入ってから勉強すれば良いという見方もありますが、それなら大学で勉強する学科とは一体何なのかということになりかねません。
米国の大学では、入るのは比較的楽だが出るのは難しい、といわれております。入る時にはそれなりの覚悟がいる。こうした要素はとても重要であります。わが国は入ったら、東大を頂点とした大学の一定のブランドを手に入れてハイそれで終わりと、極端に言えばこういうことになるわけであります。誠に珍奇な現象であり、大学教育にも徹底的にメスを入れる必要があります。
聞くところによると、平成二年に湘南・藤沢にできた慶応義塾大学の新しい学部では、クラス編成を少人数化し、英語で発表・討論をやったり、徹底的にパソコンを教え込んだりと、そういうハードな大学教育をやり始めているようであります。これだけ厳しい教育カリキュラムを本当にやれば、卒業の頃は大変心強いリーダーが誕生することでしょう。
こうした考え方には異論もあると思います。あまり厳しくやり過ぎると大学の自由さが失われるといった意見もあるでしょう。しかし、そういう厳しい内容についていけない、ついていたきたくないという人が無理に大学に行く必要はないのです。職業専門学校にいって早く社会に出て行くことだって良いではありませんか?それを本人が選ぶというのであれば・・・
大学の起源はヨーロッパにあるわけですが、ヨーロッパではみんなが大学に行くという日本のような現象はありません。大学などに行かなくとも、ドイツの「マイスター」制度のように、その道の専門職人として社会的尊敬やたくさんの所得を勝ち得る人も大勢います。つまり価値観が多様なのであります。例えどんな仕事についても、人間にとって一人の職業人として評価されることが大切であるという意識が、しっかりと社会に定着しているのであります。これは大変示唆的であります。
わたくしの考え方は極めて簡単であります。要は大学を本当の意味での大学とすべきであるということであります。今のままの大学であれば、多くの大学は必要ありません。今後、大学の自治は尊重しながらも、より大学同士の競争原理を活かしながら、大学がレジャーランドとしてではなく、社会にとって望ましい存在となるように、若者がしっかりとした社会人になれる準備の場になるように、さらには、これからの生涯学習時代にあって、10代後半から20代前半という特定年齢層だけでなく、誰もが必要な時に必要な知識を身に付けることができる社会に開かれた場となるように、政治としても検討していくことが必要であると考えます。
6 いじめを撲滅するために必要なことは決然とした決意である!
「いじめはなくならない」。こう発言した国務大臣が世間から激しく批判されました。彼も真意と違うということで大慌てでこれを訂正したようでありますが、わたくしはこの認識自体は、それはそれで非常に意味を持つ言葉であると思います。
確かに人が人をいじめたり、いやがらせをしたりというのは学校に限ったことではありません。会社でも、あるいは職員室の中だって先生同士のいじめがあるという話もたくさん聞いたことがあります。政治の世界だって、いじめに近いようなこともあるかもしれません。要は人間社会にいる以上、たくさんのトラブルは現に存在し、それをうまく乗り切る能力も必要なのであります。そして、例えばわたくしの学校時代等もガキ大将によるイジメらしきものもあったように思います。
しかし、問題はいまの教育現場にはそうした人間関係のトラブルという言葉ではとても片付けることができない、どうしようもない、救い難い「いじめ」が存在するということ、これが現実なのであり、上記のような話と簡単に比較するわけにはいかないということなのであります。いじめ被害者達も同じ心境だと思います。だから、先ほどの国務大臣の発言はやはり大きく誤解を招くものだったのであります。
皆さんもご記憶のひどい例があります。名古屋の中学校で、いじめっ子が一人の生徒に徹底的に暴力を振るったり脅して、何と5000万円もの大金を「かつあげ」したというのであります。これはもはや犯罪でありますが、近年いじめの陰湿度合いはますます増大するばかりであります。子供の頃にここまで腐ってしまうと、学校がいわば犯罪者の養成所になっているといっても過言ではありません。国民として戦慄を覚えます。
いじめをなくすためには、先ほど来申し述べてきた、子供達に脱偏差値優先の「生きる目的」を持たせる教育方法が有効ですが、まず日頃から家庭、学校で道徳教育を施すことも必要であります。
面白くもない教科書では役に立たないでしょうから、具体的な事例で討論したり、実際に犯罪被害者に会わせたり、いじめの体験者の実話等をうまく用いることが肝心です。道徳教育の場合は実効性のある内容の検討が最重要課題でありますから、道徳が子供達にとって価値あるものと認識されるように、そして人間社会には「共生」という考え方が不可欠であると理解されるように、内容については、文部科学省だけで決めるのではなく、さまざまな識者の意見を積極的に反映させ、場合によっては効果的に有名スポーツ選手に御登場願って、アピールしてもらうことも役立つでしょう。
また、学校と家庭、地域が子供達の心理状況について、もっと突っ込んだ話し合いを持つべきであります。わたくしもPTAの会長をやりましたが、そうした視点はあまり活かされていませんでした。道徳教育を家庭と学校が一丸となって実施すれば、子供達にひとつの雰囲気を与えることになり、いじめは着実に減ると思います。大事なのは、親と学校の決意を子供達に意識させ、いじめに対しては厳しい処分をするということであります。
少年法も刑事裁判対象年齢を引き下げ、罰則も厳しいものとしました。子供だからといって甘やかすと、先行き必ず同じことをするでしょう。これでは真の教育とはいえません。悲しいことですが、人間というのはそういうものであります。
ですから、極論ですが、例えばいじめを起こした生徒は刑法犯としての厳しい処分の他に、一定期間特別な、いわば「いじめ撲滅センター」のような施設に入れて、毎日毎日いかに自分がいじめられっ子に迷惑をかけたかという証言ビデオをみせつけ、性根・根性を徹底的に叩きなおすというのも一案かと思います。それくらいやらないといじめはなくならないと思います。
7 教育基本法の改正で21世紀の教育の方針を早急に固めよ!
さて、いろいろと教育政策の課題についてわたくしの意見を述べてきました。冒頭の問題意識に遡れば、この国の「かたち」と「こころ」の「こころ」の部分はやはり教育でつくらなければなりません。
わたくしはこの章で、まず、@子供達に生きる意味・目的を与える職業意識教育の強化が必要であるということA厳しい大学をつくり、大学偏差値そのものが教育の目標とならないよう職業人が評価される社会意識を醸成させていくことの重大さB家庭と学校における厳しく実効性ある道徳教育の必要性――といった諸点について論じてきました。
そして、ここでこの章のまとめに、このような人間の「こころ」づくりの象徴として、今後日本がなすべき教育基本法の改正についてお話しなければならないと思っています。
教育基本法はどこが問題なのでしょうか?すべてであります。皆さんは教育基本法をご覧になったことがないと思いますのでその一端をご覧に入れましょう。
(第一条:教育の目的)
教育は、人格の完成を目指し、平和的な国家および社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
教育基本法は、戦後、教育の民主化の見地から昭和22年3月に公布されております。しかし、ご覧とおり法律の条文全体が非常に抽象的であり、日本人の生活が伝統や歴史を無視することとなった戦後教育の最たるもので、他ならぬ「日本国民の教育基本法」というべき性質のものではありません。
具体的内容についても、「教育の機会均等」や「義務教育」など極く当然のことのみが列挙・羅列されており、真に育成すべき日本人の姿とか、共同体意識の重要性、日本の伝統・歴史・文化・価値観の重要性といったことについては、全く触れられていないのが実情であります。ここにすべての間違いがあると思います。
教育においては、ひとりの人間として国民として、社会の中でどのように他者と共存していくのか、こうした視点からも、しっかりとしたビジョンを示す教育の根本法こそ、今のわが国には必要なのであります。
このように頼りない法律ではなく、これまで論じてきたような教育の内容を実現できるよう、抜本的な改正が必要であります。
また、最近いかにも国際的=善であるという風潮がありますが、国際主義というのは、いつの時代もナショナリズムが原点なのであります。真に優れた国際人というのは、自国の伝統・歴史・文化・価値観に対する深い理解と畏敬の念をもっており、それでいて、始めて他国の伝統・文化をも重んじることができるのであります。教育基本法の中では、本来こうした点も明示すべきでありましょう。
わたくしは、前回衆院選の際、選挙の公約として、「日本の伝統・歴史・文化・価値観を重んじ、個人と国家に尊厳ある文化大国日本の建設」を掲げさせていただきました。そして、この理念こそ教育基本法改正に活かされていくべきであると確信致します。
教育は「国家百年の大計」であります。わたくしは、引き続き「あるべき教育基本法改正」と「実効性のある教育改革の実現」により、21世紀のこの国のより良い「こころ」づくりのため、全力を尽くしていきたいと思います。
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