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| 元気だそう日本! 桜田義孝の日本国改造私案 |
| 第一部 二十一世紀目指すべきこの国の「かたち」と「こころ」 |
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1 日本外交はどこへ行く・・・ ――ビジョンのみえないわが国外交政策
わが国は、従来から外交に非常に弱い国であるといわれております。いろいろな理由はあるのでしょうが、一番の理由は敗戦ショックにより、みずからの国家的価値観というものを一切否定してしまい、安全保障や経済も含めて米国依存体質一辺倒で来たために、多面的に考える外交という思想をなかなか持ちにくいということに尽きるでありましょう。
皆さんも、よく何か国際的な事件が発生した際、各国首脳が意見を求められ、米国や欧米諸国の首脳が、実に明確な道徳律をもって意見を表明するのに対し、わが国の外交首脳が、どこか他国を気にしながら、結果として何を言いたいのかわからない、あるいは何も発言できないというような事態をご覧になるでしょう。
これは、わが国の場合、国家独自の価値観というものがきちんと定まっていないことの証拠であります。国家の価値観が明確性に欠けるため、他の国からいつまで経っても信用・信頼されないのです。日本国・日本人は顔がみえないと言われるのであります。
外務省の方々は反論するでありましょう。「いや、そんなことはない、平和を目指して外交はちゃんとやっている。大使館も領事館もきちんと置いているし、文化交流なども活発だ」と。しかし、一緒にワインを飲んでパーティーをやれば、国際的に信頼されるというものではありません(これらはテーブルマナーと一緒で必要最低限のものです)。
まず、第一に外交とは、国家として一体何を目指すのかという目的を明確にして、その実現のためにあらゆる力を結集し、極度の緊張感をもって臨むべきものであります。そうした意味で、これまでのわが国の外交政策が果たして何点かというと、わたくしは極めて厳しい点をつけざるを得ないと思います。
何度も言いますが、わが国の外交にはビジョン・哲学がみえません。当座をしのぎ他国の顔色をうかがいながら、世渡りをしていくというイメージが残念ながら強いわけです。ですから、日本は諸外国から叩きやすい国だと思われて、何かと戦前のことを引き合いに出されて、その度に中途半端な謝罪をする、結局中途半端だからまた叩かれると、いわば、この繰り返しであります。
「心やさしい大らかな国」と「意志の弱々しい国」は違います。わが国が、多くの国に気を使っているからといって、現在決して世界の国々から国家あるいは民族として尊敬されているとは思えません。日本は、今こそ自らの国際的な役割・責任を明確にすることが重要であります。
2 一日も早いお金本位外交政策からの脱却を!
わが国の唯一の頼み・強みはお金であります。わが国は、景気低迷の現在でさえ、平成13年度ODA(政府開発援助)予算は1兆152億円に達し、国連分担金も米国に次いで世界第2位の217億円(全体の19.6%)にも達しています。
因みに他の常任理事国(英、仏、中、ロ)の分担金を全部足しても全体の14.8%であり日本一国に到底及びません。金額面で、世界で最も貢献している国は疑いようもなく、わたくしたちのこの日本なのです。
しかし、お金を出すわりにはあまり評価されません。何かというと「日本はお金だけ出して・・・」という言われ方をされます。湾岸戦争の時に湾岸平和基金に1兆5000億円も出してあまり評価されませんでしたし、国連分担金だって、払ったところで発言権も決して強くありません。
これでは、お金を出す意味がありません。このお金はわが国の国民が必死の思いで生み出した付加価値であります。血税であります。わたくしは正義だけを語るつもりはありません。世の中は経済社会なのです。せっかく貴重な国民の財産を拠出するのであれば、わが国に利益がもたらされるような出し方というものも考えて良いと思います。
よく対外援助においては、「無償援助が重要である」、などと言う人がおりますが、わたくしはこれも疑問に思います。一般企業や人の場合で考えればわかりやすいと思います。無償で援助をすればその急場はしのげるかもしれません。しかし、中長期的には何の解決にもならないことが多いのが実態であります。
国家発展に何より必要なのは、発展のための血のにじむような努力であります。努力しなくても豊かな生活ができるのであれば、人間は努力しなくなります。ですから、無償で資金をつぎ込むだけでは何の解決にもなりません。逆に金融用語でおなじみのモラルハザードが発生してしまいかねないのであります。
真の援助というのは闇雲に金銭をつぎ込むことではなく、その国の発展の阻害になっている原因は何か?打開のためにはどのような援助が必要なのか?国家制度の問題か?技術の問題か?あるいは食糧問題か?民族対立・紛争が足かせになっているか?そうしたことをじっくり吟味したうえで、それでは、どこの国が当該国へ援助すべきか?援助の手法はどうするのか?―そのような精緻な積み上げが必要であろうと考えます。
国際援助を決して外務省の出納事務にしてはなりません。国際援助は事務ではなく血税を使った政策なのですから………。
3 真の国際国家となるべく今こそ憲法問題の議論を!
わたくしは、外交の問題点として、わが国外交になかなかビジョン・哲学というものがみえにくいこと、そして、国際的にお金を出すだけの国として認識されていることの2点を申し上げました。そして、こうした外交政策上のすべての問題は、現在のわが国の憲法問題につながっていると、わたくしは確信致しております。
先ほど、わたくしは、わが国の首脳が自分の言葉で国際問題についてしっかりと意見を表明できないということを申し上げました。これは、ひとつには例えば憲法に記載されているような一種の国家の基本理念・思想・価値観というものが政策当局者の血肉になっていないことの証しであります。そして、これは国民意識全体についていえることであります。
わが国の現行憲法は、日本の文化・価値観・伝統の中から自発的かつ主体的に生まれたものではありません。戦後の特殊な一時期に、以前の価値観すべてを捨て去って、連合軍司令部の監視下、新しく導入されたものであります。いわば「外圧」によって作られた憲法なのであります。
この不幸な成立経緯のため、いまだに日本国民は自国の憲法について十分に血肉化できないでいるのです。憲法に散りばめられた美辞麗句も、どこか空疎で、現実と乖離しているような響きがすると感じるのはわたくしだけでしょうか?
先ほども述べた憲法9条の自衛隊を巡る問題も象徴的であります。どの国も、自国を守る権利は自然権として当然有するものであります。これは学説を引用するまでもなく常識であります。しかし、この国の場合、曖昧な美辞麗句のみを並べる一方、肝心なポイントは解釈上の問題として、国防論議そのものを避けてきました。論議することができずに、何が政治でありましょうか?何が民主主義でありましょうか?
国家が自国の安全を守るというのは当然の責務であり、仮に憲法が足かせとなってさまざまな問題が生じている、あるいは生じ得るというのであれば、速やかにこれをこそ改正すべきなのです。確かに憲法の最高目的が「人権保障機能」にあり、政治がみだりに憲法そのものに手を加えるのは好ましくないという「法の支配」を重視した意見もありますが、どう考えてもおかしな条文を、単に「憲法だから・・・・・・」といって、放置しておくことの方がもっと問題であります。
そのような意味からも、先に設置された衆・参の憲法調査会はむしろ遅すぎたくらいであります。もっと前から議論すべきでありました。自国のことは自国で決する、これが大前提であります。
明治維新、戦後改革に次いで、いわば現在の日本は第三の変革期にあります。明治維新は黒船、戦後の改革は米軍の占領という一種の外圧によって改革が成し遂げられました。
しかし、今回の変革は、みずからの意志と力をもって自律的にやり遂げるべきものであります。わたくしは、今回の憲法を巡る議論を、この国家の第三の変革期の象徴的な課題として、全精力をかけて取り組んで参る覚悟です。これまでおざなりにしてきたこのような憲法論議にしっかり取り組み、わが国の新しい価値観というものを内外に示すことこそ、必ずや国際的な信頼・信用を高めることにつながるはずです。
まず、日本は国家として国際貢献が可能な条件を明確にしておかなければなりません。国連平和維持活動に、より円滑に参加できる法整備をしておくべきであります。例えば東ティモール問題等における治安維持活動に十分参加できるようにすべきであります。
4 北朝鮮問題への対応こそわが国外交政策の試金石である!
さて、ここで今後の日本外交を占うえでの試金石としてわたくしが位置付けている「北朝鮮問題」を取り上げてみたいと考えます。
政府は昨年、北朝鮮に対して数十万トンの大量のコメ支援を行ないました。北朝鮮に対する経済援助については、国民各層に大変な議論あるいは反対意見があることは十分承知致しております。コメ支援問題当時、わたくしのところにも、北朝鮮支援反対を訴えるメール・抗議文等をたくさんいただいたものです。
いうまでもなく、北朝鮮は、テポドンミサイル発射や不審船領海侵犯事件、日本人拉致疑惑事件等、実に多くの事件を起こしております。断定的にいうと物議を醸すかもしれませんが、諸般の公安・国防関連情報を合わせてあえて申し上げれば、北朝鮮が関わっていることはほぼ間違いないでありましょう。
特に、ミサイル発射などは仮に日本に落ちれば大変なことになるわけで、改めてこの国の恐ろしさ・気味悪さというものを思い知らされます。わたくしたちが釈明を求めれば、謝罪するどころか、「日本の陰謀だ、そっちこそ悪いのだ」と滅茶苦茶な反論を、いま風にいえば逆切れながら展開するという事態についても、もうさんざん見飽きた、聞き飽きたというところではないでしょうか?
この無法国家がしてきたことは決して許されるものではありませんし、わたくしもハラワタの煮え繰り替える怒りを覚えます。しかし、ここで怒りに身を任せ北朝鮮と全く没交渉になってしまうことがかなり危険なことであるということも認識しなければなりません。
例えば、拉致疑惑であります。わが国がコメ支援もせず対決姿勢を貫けば、拉致された方々が元気に帰ってくるか疑問であります。わたくしたちがすべての交渉に応じなければ拉致された方々の行方はますますわからなくなるでしょう。
徹底的な制裁・外交攻撃で彼らを追い詰めた場合、東京やソウルを火の海にするために攻撃をしかけてくるかもしれませんし、わたくしたちとしては、多大なる国民的犠牲をもたらすであろうそうした事態は、何としても避ける必要があると思います。
「外交」と「喧嘩」は異なるものであります。関連的な感情というものは尊重しつつも、国民の全生命がかかっている国家の外交というものは、慎重かつ冷静に行わなければなりません。わたくしは、北朝鮮に対しての煮えたぎるような思いは保ちつつも、交渉の窓は決して閉ざすべきではないと考えております。
この点においては、韓国の金大中大統領が最近積極的に取り組んでいる、北朝鮮との協力・交流を拡大することで北朝鮮を解放に導くといういわゆる「太陽政策」を支持致したいと思います。北朝鮮と国交を回復し、日朝の人的交流を深め、相互に情報を交換することが相互理解と共通の利益への道と考えております。
しかし、同時に、今後の北朝鮮との国交正常化交渉については、拉致疑惑に関する明確な説明等何らかの実りがなければなりません。北朝鮮は、これまで核疑惑やミサイル発射問題と引き換えに、何もしないで軽水炉開発、制裁緩和など多くの成果を手にしました。言い方を返れば「脅迫国家」と呼べるかもしれません。先ほど述べた外交下手の話とも関連しますが、わが国は北朝鮮相手の外交カードというものを最大限利用しなければなりません。ここが日本は本当に下手なのです。
北方領土の問題もそうであります。周りでワイワイ騒いでいるだけで、肝心の相手にはわたくしたちの決意というものが伝わっておりません。日本の外交交渉をみていて歯がゆい思いをしているのは、わたくしだけではないでありましょう。
出るところは出る、このような姿勢が必要であります。堂々と持論を述べる強く硬い意思が必要であります。外交上、わが国をおとしめる、陥れるような手を使う国があれば、決然と報復を開始するくらいの気概はあっていいと思います。そうしなければ逆に弱みにつけ込まれて最終的にわが国の国民に甚大な不利益がもたらされることでありましょう。
北朝鮮の問題についていえば、今後、食糧支援や軽水炉開発といった有効な外交カードを用いながら、できるだけこの北朝鮮という謎に満ちた国を明るいところに引っ張り出す必要があります。彼らだって、明るいところに出れば、もう逆戻りはできません。その時こそがわたくしたちの真の勝負どころであります。
孫子の兵法は、如何に労力を使わずに戦いに勝利するかということを教えていますが、その中に、「兵形は水に象る」という一文があります。要するに、変化に対応するには軟構造が重要であるということであります。相手もわたくしたちが攻撃するだけでは、ますます態度を硬化させるだけであります。
時には攻め、時には引く、このような高等戦術を連続的に使いながら最後は所期の目的を達成する。これこそが真の外交と呼べるものではないでしょうか。
5 依然最重要な日米同盟 ――
米国にこそ多くの友人を持つべき
日本外交においては米国が鍵であるが、良くも悪くも戦後の日本外交は米国の顔色をみながら進めてきたと良く言われます。冷戦期、米国の「核の傘」の下で、わが国が高度経済成長を謳歌してこられたことは事実であります。
そして、依然わが国は、国家安全保障の見地からも、経済金融政策の観点からも多くの部分で米国と一心同体のところがあります。
こうした中、先ほども話に取り上げた石原慎太郎氏などは米国批判の急先鋒として、何かにつけ米国依存の日本外交姿勢を強く批判し続けております。わたくしも戦後の貿易摩擦問題等における米国の対応ぶりから、もともと米国の一方的な強硬姿勢に対してある種の憤りをもっておりました。
しかし、外務大臣政務官として、外交政策に取り組んでいく中で、外交、そして国際問題というものを政府としての立場から見渡していくにつれて、改めて国際社会における米国のすごさというものを再認識している状況であります。安易で感情的な米国批判に与するわけには参りません。
やはり米国とはいろいろあっても、自由・民主主義の価値観を共有し、世界経済発展の機軸となるという意味で、わが国は、依然米国との政治・経済両面における協調体制というものを、しっかりと維持していくことが重要であるとわたくしは認識しております。これが現在のわたくしの外交スタンスであります。
わたくしは今、外務大臣政務官在任中の目標のひとつとして、米国に多くの友人を持つことを掲げております。外交とは人間関係であります。どんな難局であっても思わぬ友人関係が元となって氷解するということがままあります。「理解し合うこと」これこそ国際政治の前提であると信じます。
米国の、海外からの移民をドンドン受け入れて、少子高齢化とも無縁な経済社会の強烈なエネルギー、人種のるつぼといわれるその多様な社会を、自由民主主義という一見押し付けがましいまでの堅い信条で乗り切ろうという、その懐の深さには、本当に敬服せざるを得ません。経済社会全体に活気がなくなりつつある今、わが国においても、米国に学ぶべき点はしっかりと学ぶ必要があると思います。
わたくしが某国の外交姿勢について憤り、その国の元首級の人物に直接問いただそうと意気盛んになっていた時、ある知り合いの外交専門家からこんなことを言われました。
「桜田さん、けんかをするにはまず相手と仲良くならなければだめだよ」
要はきちんと言いたいことが言い合えるためには、友情関係が前提だというわけであります。単に一方的に批判をしても自己満足に終るだけで、真に外交上の成果を挙げようと思えば、相手がこの人間=国の言うことを聞いてやろうと思うように仕向けることが重要なのであります。これは外交上の箴(しん)言だと思います。
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