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| 元気だそう日本! 桜田義孝の日本国改造私案 |
| 第一部 二十一世紀目指すべきこの国の「かたち」と「こころ」 |
| 第八章 社会保障制度改革のカギは生涯現役政策への思考転換である! |
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1 社会保障制度は間違いなく危機に瀕している・・・
社会保障制度は今、間違いなく危機に瀕しています。年金、医療保険、社会福祉といった社会保障の費用(社会保障関係費)が国家予算に占める割合は増大の一途を辿っており、今や17兆円にも達しています。民間支出分も合わせた社会保障給付費の総計は、72兆円にも達し、これが25年後には何と207兆円にも達するというのですから、一体この国の社会保障制度はどうなってしまうのか、と誰もが心配して当然です。
このように社会保障制度が危機に瀕しているのは、なぜなのでしょうか。いうまでもなく、それは急速な少子高齢化の進展によるものであります。医療技術の進歩で国民の平均寿命が延び、高齢者の数が増え続ける一方、晩婚化が進み、また、少ない子供を手塩にかけて育てた方が経済上、合理的であるという考え方をする親が増えたため、子供の数は急速に減ってしまっているのです。結果として、若者達の数が高齢者の数を下回ろうとしており、大勢の高齢者を少ない若者達が下で支えるという構図が常態化しようとしているのです。
こうした中で、われわれは、一体どうすれば良いのでしょうか。まず、誰もが簡単に思いつくことは、例えば、わが国の社会保障制度において、給付費が最も大きな年金制度についていえば、少子高齢化のスピードに合わせて、高齢者への年金給付を減らして現役世代の負担を増やすということでしょう。大勢の方々が反対しそうですが、反対したところで、今のような仕組みと、社会の姿をそのまま維持したいとすれば、現役世代と高齢者が、どちらも痛みを分かち合い、何とか妥協点を見つけ出していくこと以外に方法はない、といえるでしょう。
そもそも今の年金制度は、昭和36年当時、まだ、わが国国民の平均寿命が60歳代だった頃、そして一人あたりの女性が生涯に生む子供の数がまだまだ多かった時代に、その基本的枠組みが定まったものです。したがって、平均寿命が80歳に達し、かつ子供の数が平均一人程度という現在とは状況が全く異なっているのです。つまり、「給付と負担の水準」という制度上の根幹に避けがたい無理・矛盾が発生しており、小手先だけの改正ではどうすることもできないというのが実態だと思います。
ただ、どうしても、年金制度というのは、さまざまな人の利害が対立するものであるために、みんなが納得するような結論を出すのが難しいものです。一時期、民主党をはじめとする野党各党は、政府の年金改正案について、若者の将来負担が増えて、給付が減るということをさかんに宣伝していましたが、ある意味で少子高齢化の進展の中で、こういうかたちになってしまうのは、やむを得ないことなのです。しかし、だったら、どうすれば良いのかという対案は当時の野党には全くありませんでした。彼らのところでは、初歩的なマクロ計算すらできなかったのでしょう。
わたくしは、これから、皆さん方に、21世紀も、わが国の社会保障政策が維持されていくために必要な改革的視点についてご説明したいと思っています。ここで、皆さんに是非くみとっていただきたいのは、細かな制度議論ではなく、わたくしのもっている社会保障政策に対する思想、コンセプトであります。以下、申し上げることを制度に生かしていくことができれば、必ず、少子高齢化の中でも、わが国は活気ある社会づくりを行うことができると信じます。それは、「生涯現役」という思想です。
2 まずは、これまでの「当たり前」という思考を捨てることが肝心
社会保障政策の再建を考える場合、まず、重要なことは、これまでの「当たり前」という発想を捨て、すべてを新鮮な目で見つめなおすことであるとわたくしは考えております。
「桜田さん、意味がわからないよ」と皆さんおっしゃることでしょう。では、順番に説明していきましょう。
まず、社会保障給付費の約半分を占めるに至った年金制度については、今のままの制度が当たり前だと思ってはいけないということであります。そもそも高齢者の数が増えている以上、六十歳になったら、「はいそれでおしまい」というのは、どうしても違和感があります。だって、元気でまだまだ働きたい方はたくさんいるではないですか。
わが国のイメージは大体こうでした。学校を卒業したらすぐ会社に入る。そして、係長になり、課長になり、部長さんになる。運がよければ役員になるかもしれない。その間、住宅ローンを返済するため、あるいは子供を大学に入れるため、せっせと働き、六十歳の定年になったら、退職金をもらって会社からはきれいに引退し、後は、片手間の仕事は続けるかもしれないが、基本的には趣味と旅行を楽しむ第二の人生に入ると。
しかし、大勢が高齢者になる以上、60歳になったから、それでは、さあ年金生活にというわけにはいきませんし、そうなることが人間的に幸せなことだとも思われません。人間である以上、定年退職したからといって、すぐ社会から疎遠になってしまうことは、必ずしも健全な結果をもたらさないと思っています。60歳だからといって、会社を辞める必然性はどこにもない。「それがこれまでの社会慣行・決まりだから」というのであれば、社会に適合しなくなった、そうした決まりは、急いで改正しなければならないのです。
わたくしの近くでも、大企業の営業の第一線で働いていた方が定年だというので、会社を退職した直後から一機に十歳くらい老け込み、ついには寝たきりになってしまったというような例があります。これなどは、人間の肉体と精神の健康維持のためには、一定の「張り」とでもいうべきものが必要なのだということを教えてくれます。
また、そもそも、今の60歳の精神と肉体を終戦当時の60歳と一緒にするわけにはいかないでしょう。気力・体力とも十分な60歳代、70歳代の方々を、わたくしは大勢知っています。そうした方々を、社会から引退した人などと、とてもいえないでしょう。まだまだ社会貢献できる方々ばかりであります。医者によっても、60歳と70歳と80歳では、体の老いは全く違うとおっしゃられる方もいて、生理学的に「真の高齢者と呼ぶべきは、75歳くらいから」という意見もあるくらいです。戦後、高度成長期を経て今日までモノが豊かになって、栄養等もかなり摂取できるようになったことなどが、このようなことをもたらしたと思われます。
そして、こうなると、これまでの60歳定年、年金生活という基本的枠組みが当たり前でなくなってきていることに誰もがお気づきになることでしょう。つまり、すべての社会保障政策について、新鮮な目で本当にそれが必要なのかどうかを見極めることこそが重要なのです。
この点、最近話題になる公共事業も一緒です。本当にそれが必要なことなのかどうか。国民から税金を集め、それを政策に投入するということを前提とする以上、この見極めは厳しく行わなければならない最低限の作業であると、わたくしは確信致します。すべての「当たり前」を疑い、そして、時としてそれを捨て去ること、これが21世紀の社会保障政策を考えるうえでの原点であると、わたくしは考えています。
3 生涯現役推進政策こそがカギである!
ここまでで、大方わたくしの想定する高齢化社会がどのようなものであるか、お察しがついていると思います。わかりやすく申し上げれば、それは「生涯現役社会」とでもいうべきものであります。わたくしの提唱したい「生涯現役社会推進政策」は、@社会保障政策の破綻回避Aマクロ経済政策的な意味での経済成長率のアップ――の両方にプラスであると確信します。
先ほども申し上げましたが、現在の、わが国の社会保障給付費の大半は、年金と医療保険にさかれています。これだけで全体の九割近くを占めております。ですから、社会保障制度の破綻を回避するためには、この二つの制度を、小手先ではない手法で、何とか改革しなければならないわけです。
ここで、有効なのが、前述した「当たり前を見直す」という考え方です。今必要なのは、高齢者が弱者であった終戦当時の思考を捨て、新しい視点で高齢者の社会参画を考えていくことです。これからの高齢者には、ますます元気になって、引き続き働ける方には働いていただいて、社会保障政策に関する応分の負担もしていただくことが一番肝心だと思います。
そのためには、さきほど申し述べた、あるサラリーマンの一生についての意識改革が必要でしょう。60歳で定年というのはバカげている。まだまだ働ける人間を、なぜむやみに辞めさせなければならないのか。もっと有効に会社の経営に生かすことを考えれば良いのです。そのようにして、定年制についての国民の意識改革が進んで、引き続き高齢者が給与所得を得ることになれば、それが再び購買行為に結びつき、それがGDPにプラスに働くことも明らかです。当然、その際には、引き続き働きたいという本人の意思が大前提となりますが・・・
社会保障費用の節減効果と、経済政策効果からだけ、わたくしは、生涯現役社会の必要性を提唱するものではありません。むしろ、個人の幸福観の問題からも、それはいえると思っています。人間にとって日々の幸せとは何でしょうか。それは、夢中になって好きなこと、しかも社会と関わることではないでしょうか。それは、自己実現ともいえるかもしれません。やはり、何らかの目的がないと、人間は気力が衰えてしまうものです。
例えば、定年退職するといったって、再就職先もない、趣味もないといった具合では、問題が大きいと思います。そして、結構こうした方は多いと思います。後は死というものがちらついてくる。「人間は、死と太陽は直視できない」とある哲学者が言いました。やはり、目的もなく、ただ息をし、死を待つというのは、人間にとって最悪なことではないでしょうか。最後まで、「人生の終末」や、「社会からの引退」など意識することなく、元気一杯に社会と関わって生活することが人間にとって本当の幸せと呼べるのではないでしょうか。
また、このような幸福観的見地からに加えて、高齢者の健康維持・増進の見地からも、生涯現役政策は有効です。さきほど財政のところで、諸外国の入院日数比較の中で、高齢者入院者が原因として突出したわが国の現状をご覧いただけたと思います。諸外国の高齢者に比べて、それだけ日本人は「やわ」なのでしょうか。体の大きさは多少小柄にしても、決してそんなことはないと思います。むしろ、平均寿命は世界トップクラスなのですから。では、これはどういうことでしょうか。
推測ですが、ちょっとしたことで入院し、一気に具合が悪くなってしまうという方も大勢いると思います。こんな例もあるようです。ある高齢者がカゼを引いたところ、歳も歳なので入院を進められ、即日入院したところ、精神的にめいったり、床ずれができたり、たちまち重病患者となってしまい、そのまま死んでしまったという話です。
つまり、現在の高齢者医療については、単に入院させてどうこうということではなく、もっと予防医療的、社会環境医療的な発想が必要だと思うのです。もっといえば、六十歳から七十歳くらいまでの間は、やはりは働ける方は働いた方が、精神と肉体に張りが出て逆に老化を防げると思います。科学的には更なる検証が必要でしょうが、直感的にはそう思います。健康維持のためには、社会参画が有効であるという、わたくしの主張に賛同される方も多いのではないでしょうか。当然、元気な高齢者が増えれば、それだけわが国の社会保障制度を圧迫する高齢者医療費も軽減できることになるのです。こうなると、巡り巡ってすべての意味でプラスとさえいえるでしょう。
以上のように、21世紀のこの国における社会保障政策を考えた場合、「生涯現役政策」は何より重要であり、必要です。わたくしは、「生涯現役推進法」とでもいうべき、基本法の策定等、今後制度的な詰めに全力を尽くしたいと考えています。
4 社会活性化のためにも真の男女共同参画社会の実現が急務である
さて、ここで視点をちょっと変えて、この章の社会保障政策という枠組みにとらわれず、女性政策について触れてみたいと思います。わたくしは、「21世紀のこの国のかたちとこころ」の問題を考えた場合、女性の環境向上政策についての明確なビジョンを欠くことはできないと考えております。社会の活気を確保していくうえで、これまで述べた生涯現役と同じくらいこの視点は重要です。
特に重要視しておりますのは、今後の女性の積極的な社会参画であります。現在のいろいろな社会状況をみますと、女性が人生の目的をもって働き、それがきちんと報われるというかたちにはまだまだ十分ではない感じがします。女性が民間企業や社会的団体において役員等になる例はまだまだ少ないですし、社会の中での女性の発言権は十分確保されているとはいえません。
まず、女性でも男性と同じように、能力に応じて昇進できる、同じレベルの賃金がきちんともらえる、そうしたことが社会全体の意識として、より一層徹底されていくことが肝心です。そのためにハードルとなるであろう、子を産み育てるということについて、制度としてきちんと保証し、働きながら子を産み育てる女性を支援していく政策が絶対必要であります。
子供を産んだ後、そのまま働き続けたい女性は大勢いるはずであります。何も家庭に入ってしまうことだけが既定路線と考えてはなりません。わたくしは、この章の冒頭で、「これまでの当たり前という思考を捨てることが肝心」と申し上げました。女性が出産後も正社員として、目的をもって、役割に応じて働き続けることが当たり前と考えられるような世の中こそが、本当の男女共同参画社会といえます。
わたくしは何も専業主婦というありようを否定しようというわけではありません。彼女たちも、やはり社会というものの中での自分の位置というものを絶えず考えており、人生の生きがい・やりがいを求めていると思います。今の世の中ですと、どうしても出産後、女性はハンディを背負ったかたちとなってしまうことが多く、結局自分の人生目的を達成することが困難になり、結果として、子供や夫中心の家庭を生きがいとし、時として過剰なまでの子供依存症が生まれるという部分も多いと思うのです。親の過剰な期待ほど子供にとって迷惑な話はありません。
わたくしは、女性も企業社会や公的団体でますます大きな役割を担い、社会のさまざまな意志決定の中軸をなすべきであると考えています。企業の利益を挙げ、GDPを増進させるためにも、女性の視点や社会参加は欠くことはできません。社会の半分は女性なのです。当然、政治や政策形成にも女性というものの視点や参加がますます重要になってきております。
男性諸氏は今こそ女性の社会参画について妙な偏見・先入観を捨てて、やる気のある女性を積極的に受け入れ、「自立」と「共生」の社会づくりのためにともに手を携えていかなければならないと思います。それでなければ、今後の少子高齢化社会の中で経済社会の活性化を維持していくことは困難であるといっても決して過言ではありません。女性の総理大臣が出ても、女性の会社社長が出ても全く不思議でない、そのような「真の男女共同参画社会」を目指して、わたくしもがんばりたいと思います。
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