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| 元気だそう日本! 桜田義孝の日本国改造私案 |
| 第二部 日本政治の舞台裏 ―― 日本政治の現状と桜田義孝の政治哲学 |
| 第三章 政党政治は永遠か? ―― 桜田義孝の自由民主党改造論 |
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1 自由民主党の一体何が問題となっているのか?
わたくしたちの自由民主党は現在、大変不人気です。特にわたくしのいるような都市部では余計かんばしくありません。一体なぜでしょう。まず、第一に言えることは、政権に長くついているため、社会問題のすべてが自由民主党の責任となってしまうことがあると思います。しかし、政権与党である以上、世の中について責任を持つことは当然であり、政策の中で少しでも良い方向にもっていくことで解決するしかありません。
また、イメージが悪いという点もあるでしょう。世論調査をすると、自由民主党で連想する色は灰色だというのですから、涙が出てきます。リクルート事件を始めとする多くの汚職事件等も影響してきたかと思います。こうした中で、テレビドラマ等で扱われる政治家像は、太っていて、葉巻を吹かして、これみよがしにバッチを付けている、そして、大抵は陰謀を巡らす悪役のトップとして描かれています。
そして、こうした国会議員は保守系国会議員をイメージして演出されるわけですから、それをみている人達も、自民党の国会議員というのはこんなイメージなのかとなってしまう。マスメディアの報道等によって更にこれは助長される。与党という権力を持ち続けている存在である以上、仕方がないところはありますが、今後、わが党の若手政治家がテレビの生出演等で鍛えられ、新しい職業政治家像を作り上げることしかないでしょう。
また、自民党とお金というイメージについては複雑です。先ほど国会議員の章で申し上げましたが、中選挙区の頃からは大分良くはなったにせよ、基本的に後援会政党である自由民主党の国会議員活動にはお金がかかることは事実です。それはこの党が、共産党のようにマルクス・レーニン主義によって結束されていたり、信奉する教条があったりという政党ではないからです。逆にいえば、わが党が掲げる自由民主主義に関して人々はどんなイメージでも持てる。だから個人を支援してくれる後援会が必要で、その維持のためにはどうしてもコストがかかるということなのです。多くの国会議員事務所の台所は火の車です。わたくしたちは、何もお金を使いたくて使っているのではありません。繰り返しになりますが、この点は、公設秘書の倍増等による公的助成を拡充することで、最低限のコストについて軽減させていくことしかないと思います。
そして、象徴的に言われるのは、「しがらみ」の多い自由民主党には政治は変えられないという主張であります。政党にとって「しがらみ」とは何でしょうか。例えば、わが党の参院比例代表名簿をみてみれば一目瞭然。各種団体の代表者がズラリと並びます。野党がいうのは、こうした各種利益団体の言うことばかり聞いていたら、構造改革的なものは何もできないという意見です。確かに比例選挙に出るための党員二万人と後援会名簿百万人獲得というノルマは大変厳しいものがあり、わが党も既に廃止しております。
しかし、野党の言い分は適切・的確性を欠いたところがあります。各種団体というのは基本的に社会の縮図です。サラリーマン社会も含めて、世の中の大体の問題はこうした団体を通じても把握できます。ですから、彼らのそれぞれの言い分を全く無視して、政策を進めていくことが果たして国益にかなうものかどうかは、十分慎重に考えなければなりません。むしろこうした政策のデパートとも呼べる団体への強いパイプは確保しつつ、痛みを感ずる改革については、良く団体と意見交換や調整をして、手堅く進めていく強いリーダーシップが肝心だと思うのです。
すべての利害を無視して単に突っ走ることが望ましい結果を生むかのような、野党の主張は無責任極まりない。かえって民主党などは、一部労働組合を尊重せざるを得ませんし、もっともっと特定の利益団体のために動き得る「しがらみ」をもっているではありませんか。
政治家には各方面からの「しがらみ」はあって当然です。むしろそうした広い支援を前提として、自らの魅力と政治手腕で国家のために必要な政策については、これを是として推進していく、こうした政治家の姿勢こそが重要だと思うのです。
以上申し上げてきた自由民主党について問題とされるいくつかの事象については、引き続き国民の理解を得られるよう全力で改善・解決に向けて取り組んでいきたいと思います。
2 派閥は永遠になくならないか? ――首相公選導入が派閥人事解消の近道である
良く支援者から、「結局派閥はなくならないじゃないか」といったようなご意見をいただきます。確かに政治改革論議が盛んになった一時期、派閥は止めようということで、「旧」とか付けた呼び方をしていましたが、再び橋本派(平成研究会)とか、森派(清和政策研究会)とかそうした呼び方で呼ばれるようになりました。
しかし、断っておきたいのは、現在の派と呼ばれるものは、中選挙区制時代のいわゆる派閥とは全く違っています。中選挙区時代は定数が三つも五つもありましたから、派閥同士が争って候補者を立てるということがありました。派閥は熾烈な選挙を金銭面で面倒をみたりと、本当に一丸として強力な結束力を誇り、そこに派閥というものが誇張されて政治の中心になってしまったという傾向はありました。
しかし、小選挙区制度になって一選挙区一人になりましたから、候補者丸抱えともいえるこのような派閥の強烈な特徴は、かなり薄くなりました。政治資金規正法の強化等も相まって、現在の派といわれるものは、選挙とかお金の面倒をみることよりも、政府や党内の人事を円滑に進めるための緩やかなサークル・政策勉強会のようなものとして、かつての派閥とは全く異なった様相のものになりました。
ここで、皆さんの中には、首相指名が派閥の協議で決まってしまうようなイメージ、また、閣僚が派閥ごとに割り振られることについて疑問を持たれる方も多いでしょう。
まず、総理大臣についていえば、それぞれの政策グループにおいて大勢が、能力的に競争しながら徐々にふるいにかけられていくという、そういう点が一定の人事システムになっていることは事実だと思います。ただし、そうして選ばれた人物と国民が支持する人物との間に乖離が発生しているという点については、わたくしが兼ねてから主張する首相公選制度を導入するしかありません。
また、閣僚ポストが派閥順送りになってしまっているという点は、やはり何らかの改善が必要だと思っています。これだけ政策課題の専門性が進んでいく中では、派閥順送りで、ころころと大臣や副大臣が変わってしまうのは大問題です。仮に首相公選により一定期間安定して、首相のリーダーシップが発揮できるようになれば、首相は次に公選で再選されるためにも能力本位で人を登用するでありましょうから、派閥的人事は相当変わってくるのではないでしょうか。いずれにせよ、派閥による人事システムを改善するためには、首相公選が有効な策だろうと思います。
こうした中、派閥というものが、それでは完全に絶滅するかといえば、わたくしは否定的です。よく人間が三人いれば派閥ができると言われます。民主党にだって、鳩山系とか横路系といった派閥同様のグループはありますし、会社にだって専務派、常務派とあるかもしれません。町会にだってあるくらいです。人間である以上、そして全体主義や強烈な宗教団体でもない以上、人間性・肌合いの違いや意見の違いは当然あり、ある程度のグループができてしまうのをどうすることもできません。そして、いろいろな政治的意見の表出も、少数から大人数までさまざまな諸集団があって、そこで出され、徐々にまとめられていくというのが、民主主義社会の宿命、基本的なシステムというところは確かにあるのです。
問題は、国政という場面では、そうしたグループが原因となって国民のためにならない著しい害悪が発生し得るとか、肝心なことが先に進まないとか、そうした点にあると思います。派閥は良くも悪くも人間社会の縮図です。これを考えることは、日本の社会風土・政治風土を考えることだとわたくしは思っています。
3 自由民主党は積極的な人材発掘をすべきである!
自由民主党の候補者というと、官僚出身、二世、三世議員のほか、地方議員、議員秘書だったりとこんなところが大半だと思います。普通の方が国会議員になるという例はまず少ない。現実問題として、「職業としての政治家」へのアクセス難易度は非常に高いと思います。一方で、政治こそがこの国をリードしていかねばならないわけですから、国の中枢を担える優秀な政治的人材がたくさん参加する必要があります。政治主導の政策形成を考える上で、議員や議員スタッフも含めて、優秀な人材とそれを登用する人事システムは不可欠であります。この点、自由民主党には改善すべき点がたくさんあると思います。
まず、重要なことは、候補者の公募等により若い政治的人材を積極的に発掘していくことであります。一時期、加藤派が候補者の公募をやって話題になりましたが、候補者の公募をして、論文試験や面接試験を行ったりするという、専門家としての政治家発掘と育成は自由民主党にとって、大きな課題であると考えております。
英国では、政党が候補者を選ぶ前に候補者選抜のための予備選をやったりと、政治的人材登用のための仕組みが制度化されていると聞いています。この点、民主党は候補者の公募を進めるなど先行している感があり、党全体に大変若いイメージがある。自由党の小沢さんも政治に興味がある若者達を集めて「小沢一郎政治塾」なるものを作りました。これも当然、自由党としての若い政治的人材発掘を念頭に置いたものです。
わたくしは何も高齢が悪いといっているのではなく、やはり若い人材も発掘し、育成することが、政治の活性化と世論の共感に繋がっていくと思うのです。よく自由民主党は若い人々に人気がないといわれます。古いイメージを払拭し、若者でも共感できる政党にするためには、人材育成こそがカギだと思っています。党では中央政治大学院を作ったりするようですが、かたちだけでは意味がありません。実際しっかりした人が集まり、そして政治の世界に入っていけるような環境整備を進め、それを誰もがわかるように示していくべきであると考えます。
また、人材育成という点からは、当選した後についての政府役職等への登用については、当選回数よりも能力本位で決定するという人事システムも重要だと思います。大臣病を蔓延させないためにも、政策をやる人、議会でバックアップする人、政党役員として活躍する人と、そういう役割分担があっても良いと思います。すべてがすべて順番で政府に入る必要はありませんし、個人的にはそうしたやり方は無理があると思います。むしろ民間人等から優秀な人材を政府に登用できる柔軟な人事システムを充実させることも必要だと思っています。
4 果たして鳩山さんや菅さんに明日のニッポンを託すことができるのか?
さて、これまで論じてきたように、自由民主党にはまだまだ改革していくべきたくさんの問題があります。そうした中で最近、民主党の議席が増えてきております。多くの国民が民主党に投票しているということは、厳然たる事実であり、わたくしどもも謙虚に国民のこうした動向を受け止める必要があると思います。ここでは、政党論というかたちで、民主党が明日の二十一世紀のこの国の「かたち」と「こころ」づくりを担うことのできる政党かどうか考えてみたいと思います。
結論から言いますと、今のかたちとしては、そもそも責任政党として問題があるといわざるを得ないと思います。まず、わたくしたちは民主党が、国家観の全く異なった二つの勢力が「自民党憎し」というだけで一時的に一緒になっているだけであるという現実を見なければならないと思います。
具体的にいえば、鳩山さんやもともと自由民主党にいたような一部の中堅・若手は自由主義的発想が強い。鳩山さんが理想としているのは英国貴族的民主主義ではないでしょうか。新しくサラリーマン等から議員になった一年生議員にもこうした傾向の人が多いと思います。一方で菅さんは市民活動がバックグラウンドであり、体制に対する強い警戒感をもっています。しかし、権力に対する執念は凄まじいもので、そのためには政策的な妥協もできる政治力のある人間です。この菅さんの一派もグループを作っている。そして、鳩山さんと一番あわないのが、北海道知事経験者の横路さんです。憲法論議になるとこの二人はすぐ対立する。しかし、回りにいわれて矛をおさめると、この繰り返しです。
しかし、国旗・国歌にしても、憲法論議についても彼らが真っ向から対立し、争っているのは、この国のかたちそのものを議論する基本的国家観とも呼べるものについてであり、内部でこうした対立があるのに、それを表面的にはないがごとく隠蔽するのは一種のサギ行為であり、もはや政党と呼べるようなしろものではありません。基本的に国のかたちについての構想が違えば、具体的に多くの政策がずれてくるはずであります。国家観が一貫している自由党や社民党が復権しつつあるのは、こうした点で、民主党がいまいち信用できないということを、国民が見抜いている証拠だと思います。
したがって、まず、わたくしとしては、各政党は内部対立を恐れず、国家観とビジョンを提示する、それこそが大事なことだと確信します。国家観は政党の命ともいうべきものです。そして、その結果、政界再編成が起こったとしとても、それはやむを得ないではありませんか。
5 政党政治は永遠か? ―― いま日本の政党政治に求められるものとは?
いろいろと政党について申し上げて参りました。ここで、政党というものについて、改めて考えてみたいと思います。現在、多くの政党が存在しています。自由民主党をはじめとして、民主党、公明党、保守党、共産党、社民党、自由党、自由連合と、基本的な政治思想の違いから、それぞれが政治グループとして活動し、国民に選挙での支持を訴えています。
普通の各種団体と政党との大きな違いは、各種団体が特定の利益のため政党や行政を通じて、目的を達成しようとするのに対して、政党は自ら世の中全体から広い支持を得て、最終的には権力を奪取することを目的としていると、されております。政党は政策や意見の集約の場であり、政治対立と妥協の場でもあります。よくも悪くも現代の民主主義というものは政党なくしては語れなくなりました。
こうした政党政治について、特に最近の知事選における無党派層の台頭で、政党無用論等、政党に否定的な考え方を持つ人々が増えているということは注目に値すると思います。政党は果たして無用のものとなってしまったのか。国民の意見集約のシステムとはなり得なくなってしまったのでしょうか。
結論から言ってわたくしは、二十一世紀においても、政党という枠組みはなくならないと思っています。これだけの国民がおり、政治の場で利害調整をしていかなければならない以上、国民生活に関わる分野ごとに意見を集約する政党という存在は、決してその意義を失うものではないと思います。
むしろ国民が政治に参画する機会をつくる、この政党という機関を国民にとってもっともっと身近なものにする必要があり、そのためには政治が、政党が魅力ある存在として生まれ変わる必要があります。党首を批判するCMを県連がつくったっていいじゃないですか。インターネットを使って公開討論をやったっていい。IT社会の中で、顧客を引き付けるのだという発想の下、魅力ある政党や政治家が次々と出て競争していく。それこそが、今後の政党のあるべきかたちだと思います。若い人々にも是非政党に関心をもってもらいたい。大いに参加してもらいたいのです。
ところで、わたくしの事務所でも学生インターンを受け入れたり、学生部を立ち上げたりと、若い人たちにできるだけ政治に参加してもらえる機会を作っています。さきほどいったような政務調査会の朝の部会にも体験参加させています。若いうちにあのような場でナマの天下国家論を聞くというのは、大変貴重な経験になると思います。今後、若者の更なる政治離れ、そして政党離れを食い止めるためには、政治・政党教育というものも、ある程度必要なのではないでしょうか。
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